主観的、人間的、信仰的

  • Archive
  • RSS

クールです。

若者っぽい意見で恐縮なんですけど、なんかずっと気になってることがあるんですよね。

Twitterで息巻いてるアタマヨサゲな大学生って、よく見ますよね。

そういう子って、社会とか政治についてなんかテツガク?みたいなものを勉強して、引用?して苛立たしげに文句言ったりするじゃないですか。長文Tweetするみたいな。

それってなんかこう、「俺かっこいい」以外に意味あるんですか?

ガクモン的な興味です!っていうのはもちろんわかるんです。

ただどうしても、言ってることはコピペだったりするのに、すごい「俺はやってる」みたいな自負をお持ちになっている子が多いきがするんですよね。特に、テツガク?とかシソ―?みたいなカテゴリに入るような分野の偉人?の名前を出したりする子。ルソー?ポストモダン?でしたっけ?

Twitterはコンテンツとしてあんまり意味がないので、個人に対するイメージを築いたり、何かと何かをつなげたりするみたいな、そういう「サブ」的な位置で使うならいいと思うんです。

でも、そういうアタマヨサゲなことをTweetして、「なんかよくわからないけどあの人はすごい!」みたいな感じでアホをたくさん釣って、それで満足してる人多いじゃないですか。それって、その、承認欲求以外の意味ってないですよね。

言ってる内容がトンチンカンでも、長文だったり、ルソー?みたいな人の名前を140文字以内に入れれば、それだけでみんな「あの人はすごい!」ってなるじゃないですか。

そういうのってありますよね。

ああ、もしかしてこういうことですか?

Twitterでそういうアタマヨサゲな内容をTweetしたら、同好の士が集まって、それでなんかこう、「あなたも原稿書いてみませんか?」みたいな、そういうやつを狙ってるんですか?

おお、なるほど。あなたの非公式RTにもちゃんと意味があったんですね。すごいです!

いちおう「将来のためのブランディングとしてTwitterを使ってシソ―やテツガクみたいな真面目なことも語れるみたいなのをアピールしておいて、あわよくば原稿依頼がくるかも」という実利的な期待があるので、ダラダラTwitterしてても、自分に言い訳ができてよいですね。

クールです。

  • 10 months ago
  • 13
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+

インターネットが好きな人

例えばあなたがすきな子とデートするとき、きっとよい具合の喫茶店などを利用したりすると思うんですが、それってインターネットじゃないわけですよ。

対面的現実なわけで。

インターネットの人は「インターネットでないものはやはり新鮮でよいね」みたいなことをよく言ったりするんですけど、「インターネット・でない」っていうのを挟まなくとも、そもそも私たちは普通に対面的現実世界でごはんを食べてエンジョイしてるわけで。

そういうのも絶対あるはずなのに、そこをスルーしてインターネット!っていうの、なんか、ちょっとサブカルファッションの人たちと同じにおいがすると思うんですね。

かっこいいことを付け加えるならば、昔は「ネット/リアル」みたいな感じだったけれど、今はリアルが多重化している、つまり対面的現実の上にネットという皮膜が常に重なっている状態ですから、インターネット単体っていうのはちょっとね、みたいな感じでしょうか。そういうのもひとつあると思うんですけれども。

最近のインターネット、インターネットを見てインターネットをするみたいな、すごい最初から最後までインターネットみたいなことができるじゃないですか。

みんなインターネットするし、みんなインターネットできるようになったんですよ。

そこでなんか「回線につながってないと死ぬ」みたいなインターネットジャンキーみたいなのって、すごくダサいと思うんです。

だってみんな既にインターネットしてるわけで、別にあなたがインターネットしてることはなんも個性的でもない。

ツイッターに夢中だって言われても、そんなのiPhone持ってるツイッターユーザーならみんなそうでしょう。

なんかちょっと昔の「インターネットジャンキー」みたいなのに憧れて今自分がそうなってるから「インターネット!」みたいに周回遅れで追従したりするの、ダサいと思うんですよね。

その人たち、自分でインターネットしてるわけじゃないし。他人にあわせてインターネットしてるというか。自分でおもしろいこと見つけようとしたり、自分でおもしろいことやってみたりとか、そういうの無いじゃないですか。

かっこいいこと付け加えれば、昔は「リンクを辿って自分で探しにいかなければならなかった」けれど、今は「自分のほしいものが必ずあると思ってインターネットをする」とか「自動的に流れてくるものをなんとなくインターネットでみている」みたいな使われ方が楽にできる環境になった、ってせいかもしれませんけれども。

なんかインターネットをアイデンティティにするの、すっごく厳しい時代になってると思うんですけど、そこらへんどうなんでしょうね。

みんなが観客みたいになってる中でなにか自分でやっちゃう、みたいなインターネットはすてきだと思いますよ。みんなもそれを求めていますし。あなたも、わたしも。差異化という面でも。それならアイデンティティにしても、自分に酔いしれてよいし、たのしいと思います。

  • 10 months ago
  • 2
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+

インターネットしよう!

インターネットたのしい!とってもたのしい!

インターネット、みんなをしあわせにする!

ちきゅう、へいわ、ちきゅう、たのしい、うれしい!

インターネットしよう、インターネット!

  • 1 year ago
  • 57
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+

Twitterによるコミュニケーションと社会的現実構成

ザッカーバーグになりたい奴は人間のことをもっと考えろ1

ザッカーバーグになりたい奴は人間のことをもっと考えろ2

は、この文章をインターネット語に訳したものです。

フレーム→「枠組み」

社会的現実構成、メタ・コミュニケーション→「アイデンティティをチューニング」

などなど。

物好きな方はどうぞ。

Twitterによるコミュニケーションと社会的現実構成

1、

 twitterは、アイコンやIDといった「自己」を構成するデータを他者に対し提示し続けることを必要とするウェブサービスである。今現在、ツイッターを実名で登録するユーザーは、かつての匿名的なインターネット観からすれば驚くほど多い。また、インターネットと「リアル」が繋がりやすいサービスであるという認識から、禁忌とされてきた個人情報をあえて公開することによってコミュニケーションを加速させ、現実のソーシャルグラフの拡大を目的とするユーザーも少なくない。これらの現状を鑑みるに、twitterとは日常的・対面的現実との緩やかな連動性が大きいメディアであり、そのコミュニケーション的性質は対面的現実と相反するものではなく、そしてそれほどまでに人々をコミュニケーション辺重主義に巻き込むサービスである、という仮説を立てることができる。

2、

 twitterの機能に対する詳しい説明はここでは割愛するが、自分が他者にfollowされるということ、自分のツイートに対しreply、RT、そしてfavoriteされるということは、まさに他者からの自己肯定そのものである。自らを承認し肯定する他者をfollwerとして所有し、発言に対するフィードバックを得ることのできるサービス設計は、メディアを媒介としたコミュニケーションにおいて、まさに自己呈示を加速させるアーキテクチャであるだろう。  

 かつてのブログ・ブームでは、「せっかく自分が記事をブログで書いたのに、閲覧者やコメントがゼロに等しい。これじゃただの日記帳と変わらない」といったような不満や問題が多く見られた。しかしtwitterでは、自らが他者を「一般的信頼」の元1つのラインに集め、その擬似同期性のもと自己と共に他者の存在を閲覧し、そこに向かって発言を投げかけることのできる(そしてその結果自分のfollower、つまり一般的信頼を獲得することができる可能性がある)タイムラインというシステムを持つことによって、その問題を容易に解決している。緩やかでつかず離れずの「親密なストレンジャー」たちを所有することによって生まれる、自分の発言を誰かが見ているという実感は、人間が持つ自己顕示欲や、他者からの承認欲求をじゅうぶん満たしうるであろう。

 むろん、正確に言えば、純粋同期に限りなく近い「擬似」同期によって、いま・ここで他者とコミュニケーションしているという錯覚を引き起こされているだけであるとも言える。相手が必ずしも、自分の発言を同じ時間に、同じタイミングで見るとは限らないし、他の発言に流されてしまい、自分の発言は読まれていないという可能性も大いにありうる。  

 しかしあくまで重要なのは、「読まれているかもしれない」という主観的実感であり、そこにある客観的現実は、ユーザー自身にとって大きな問題ではない。加えて、そうした自己と他者の発言が時間の流れの上で、大量に生まれ消えていくタイムラインという設計は、自分の発言が他者の発言の隣に現れること、つまり自己と他者が同じ「社会」に並んで存在するといった実感を醸成させる。ユーザーは、自分の発言がタイムラインに現れた瞬間に、そのタイムラインというフレーム、そして発言を見ているかもしれない他者のフレーム、そして自己フレームの中においてメタ・コミュニケーションを強いられることになる。

 またタイムライン上では、多重化するパーソナル・アイデンティティ同士のゆるやかなフレーム(インターネット上では、「クラスター」という概念で持って語られる)を恣意的に組み立てることもできる。タイムラインという自己と他者を含めた大きなフレームの中に、他者同士のフレームを認識してもよいし、そこに自分を加えてもよい。タイムラインというフレーム、そしてインターネット全体(自分の認識の範囲外、たとえばfollowing外から他者がやってくるかわからない)という大きなフレームの中では、私たちはそのフレーム構成・認識を自由に行うことができる。そこには明確なフレームは存在せず、ユーザーが感じたまま、他者、つまりフレームを構成する要素、断片を組み合わせることが可能であり、自らが認識したフレームに沿った社会的現実構成を容易に行うことができる。

 そしてそうしたさまざまなフレームに合わせて自分を駆動させる、複数の社会的アイデンティティを管理する自己アイデンティティは、前述の通り、自らの発言が他者と並び可視化されること(エゴ・アイデンティティの認識)とそれに対するフィードバック(パーソナル・アイデンティティの認識)の相互作用によって、スムーズに醸成されている。

 社会、あるいはフレーム、そしてアイデンティティを認識しやすいシステム設計を持つtwitterは、まさにユーザーそれぞれにおける強烈なメタ・コミュニケーションによって成り立ち、そこにいる人々のフレームと自己の維持をドライブさせているといっても過言ではないだろう。

3、

 私たちが日常生活の中で無意識的に行っている、社会的現実構成のためのメタ・コミュニケーションは、タイムラインという設計によって可視化された。またユーザーのアイデンティティは、発言に付随するアイコン画像とIDによって、明確に他者のフレームの中に出現し、そして他者からのフィードバックを受信することによって、相互作用を維持させている。こうしたtwitterの性質は、人々に、より自己と他者、そして社会における社会的現実構成を強烈に意識させる。Twitterは、そのウェブサービスの基本設計と、ユーザー同士の相互作用によって出現したそのアーキテクチャ的性質によって、コミュニケーションに必要な作業や意識の負担を軽減または補助することにより、人々のコミュニケーションを安楽にしているのではないだろうか。

  • 1 year ago
  • 2
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+

回るネットはバカばっか

自分はどれだか胸に手を当てて考えてみろ。文章読むのがだるいってやつは、まあ期待はずれだ。選考外。帰っていいよ。別におまえのこと1mmも気にしてねーし。

自分たち人間にどーしよーもねーバカな部分があるってことに気付いた奴の未来は、三通りだ。

  1. そのまま気にせず毎日を過ごす奴。別に知ったこっちゃない、今が楽しければどうでもいいし、言ったことでどうにでもならないっしょ?と平常運転する奴のこと。
  2. みんなに啓蒙しようとする奴。「みんな目を覚ませ!何やってるんだ!」っつって周りの人間に教えて回ったりする。大体の人間は納得するから「あの人は頭がいい」なんつって尊敬されたりもする。最終的に非公式RTやりまくってプチカリスマになったりもするな。正義の味方ルートだ。
  3. あえて黙ってる奴。こいつが一番良くも悪くも厄介だ。バカな部分を知ってるからこそ、何気ない顔して他人を操ったりもできる。わざと炎上させて注目させたりもな。他人に教えてやらないのは、自分だけがおいしい思いをしたいから。黒幕ポジションだ。

人間っつーのはほんとバカで、太るってわかってるのに甘いものはバカスカ食うし、寝た方がいいっつってんのにずっとインターネットするし、テスト前日に勉強した方がいいなんてこと誰が見たってわかるのに、だらだら漫画読んじまったりする。

人間ってマジで、救いようのないくらいバカでアホ。

でもバカでアホなことって楽しいだろ?楽しさの前には合理性なんてクソ食らえだろ?楽しいことって無駄なことだろ?っつーか人間ってそう考えると全部「無駄で」「いらなくて」「冗長で」…バカな部分の塊だだろ?

バカなことって、楽しいんだよ。

機械じゃない人間の部分って、楽しいことなんだよ。例えそれがバカでも。

言ってみれば、感情って本当にバカ。無駄なことで消耗したり拘ったり、もうホントバカ。でも感情があるから人間だし、人間だから感情がある。インターネットにいる人間は、そういう意味で全員がバカだと思う。私たちはバカみたいな目的でインターネットを見てるし、そのバカな私たちが楽しいと感じるってことは、インターネットは私たちをもっともっとバカにさせるツールだってことも、肌感覚で納得できる。

楽しいは正義だ。

どういう所で人間がバカになってしまうのかを知っていれば、もしかしたら、もっと人間をバカにすることができるかもしれない。

どういう所で人間が楽しくなってしまうのかを知っていれば、もしかしたら、もっと人間を楽しくすることができるかもしれない。

結局言いたいことはそういうこと。3の人って、黒幕って言い方したけどエンターテイナーとも言いかえられるよね。ものづくりにそういう視点盛り込むの忘れてませんか?

あと最後に、最初の方の荒々しい口調や煽るような展開に不快感を覚えてしまった方、人間の種類を3つに分けたことが話の趣旨とほとんど関係無いことに憤りを感じてしまった方、本当にごめんなさい。

だってそうすればみんなムカっとして読んでくれるって知ってたから。みんなバカだからね。

  • 1 year ago
  • 8
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+

インターネットシャブシャブ

「情報化社会」とか「インターネット時代」って言葉について。

私たちは、知識が無かった時代に比べると、情報がいつでも引き寄せられる便利な時代に生きている。まるで自分の頭が良くなった気がするし、何か開放的なイメージすら持てる。

でもさあ、一方でその万能感は、思考停止の第一歩だよね。

「情報化」って都合の良い言葉だよ。

経済とか政治とかの「上」からみればかなり都合がいい言葉だよ。

政策って結局は「こういう風に社会をもっていくぜ」っていう思惑のことだと思うんだけど、その自分たちの思惑がバレないよう、責任回避のために「これは情報化社会だから仕方ないんですよ、我々お上でも逆らえない流れなんで〜」っていう手段、言い訳としてじゅうぶん使えますね?

私たち「下」からみても都合のいい言葉だよ。

毎日の生活が便利に変わって、「情報化やべーっすよ、インターネット最高っすよ!」というプラスのイメージに囚われた私たちは、インターネットに浸かりながら「インターネットって、情報化って、一体どういう枠組みでできてるの?」っていうまなざしを失ってしまうことがある。私たちユーザーがインターネットを使っている気でいるけれど、本当は大きな枠組の中で使われているのかもしれない。それが現在の話なのか、未来の話なのかは置いといて。情報化って便利でやべーんすよ、問題?そんなの知らねーよ便利だしみんな使うじゃないすか、って思ってませんか?

ネットの発達は、科学技術の発展の自動的な結果だ。これは否定できない。情報化を選択する/しないを選択しなくても、便利だし使うしかなくね?という状態に、これからもなってゆくだろう。

しかしこのスタンスは、一体私たちがどこまで情報を引き受けていいのかという問題を無かったことにしかねない。情報化した社会の中でいろいろな問題が出てきたときに、それらの責任を回避するような流れになりかねない。

情報化という言葉は、上下関わらず、責任回避というものを広げていく力をもっている。

しゃーないしゃーない、責任回避していいっすよ!と言ってくれるありがたいツール「情報」。

まったく都合の良い錦の御旗だよ。

言葉に気をつけようって言ってるの(http://itopoid.tumblr.com/post/16356384622)、別に国語の勉強ってワケじゃないんですよ。

リテラシ、民度、なんでもいいけど、けっこうみんな気にしてないのかな?

それともシャブやってるからなのかな・・・(https://twitter.com/#!/shabuyatteru)

  • 1 year ago
  • 8
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+

ペンは剣よりも強すぎた

私たち日本人は普段の生活でことばを使って生活している。日本語を使うことは、私たちにとって簡単なものだ。そこに技術はいらない。絵を描いたり、プログラムを組んだり、サービスを作ったりするような、ある意味で特殊な、習得しなければならない技術が必要というわけではない。

 気軽に、それこそ小学生でも「表現」ができるのは、今のところ文字メディアがもっともハードルが低い。そしてネットの発展と普及はそのハードルをさらに下げた。みながみな、文字を気軽に他者へと送信/受信できるような環境にいる中、今一度ことばについて考えるべきではないかと思うのだ。

 「平和」ということばが表すものが人によってまばらであるように、誰にとっても、ことば自身と、ことばが指すものは必ずしもイコール関係にはならない。木漏れ日の美しい光景を誰かに伝えたいと思ったとき、私たちはどこまで語ってやればよいのだろうか。木々の水々しい葉の色?太陽の光の強さ?地面にできた影の大きさ?角度?長さ?

物ごとの全てを、ことばで完全に表すことは不可能だ。自分が言いたいことがきちんと相手に伝わらず、歯がゆい思いをした経験は誰にでもあるだろう。相手に自分の思っていることの全てを伝えるには、文脈と、認識と、共通言語と……果てしない努力と根気が必要になる。

ことばと事象の間には、埋めることのできない溝がある。

それを意識せず、または知らないままでいると、私たちはいつまでたっても、「なんでわからないんだ」「さっき言ったじゃないか」といった理不尽なことに悩まされてしまうかもしれない。

私たち人間は、「正義」のもとにその命を軽々と捨てることもできてしまう。正義がなんなのか、それが何を指しているのかは考えずに、ことばを信じて扇動されて。正義、正義と唱えてしまえる。それはあまりにも恐ろしいことではないか。

この問題に対し、ことばを信じすぎず、かといってことばを嫌いになり過ぎず、ことばの性質を考えながらことばを扱っていこうと私は考える。

いくら自分の思い通りにいかないからと、ことば嫌いの立場を守ろうとするのでは、もう口を塞ぐしかない。今一度、自分が使っていることばについて考えてみるのもいいかもしれない。

  • 1 year ago
  • 9
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+

グループ、クラスタ、コミュニティ

ネットに存在する何万人という人間と個人的な人間関係を持つことは、誰にとっても不可能だ。しかし多数対多数のネットワークであれば、何百人、何千人という緊密な結びつきを持つことができる。 これ、多重化するクラスタとかの話も含んでるよ。 

こうなると、指導者やリーダーみたいな人間は、重要ではあるけど昔より輝かないのはしょうがない。 一方、コミュニティの中央とか、そこに集まってきた人々はどんどん光って何千人、何万人という人々をつなげていく。 

ひとりの人間が心から繋がり合える相手には限りがある。けれどコミュニティによって形成される横の繋がりは無限だ。 

「やりたい」よりも「なりたい」でまわるネット、と言ったことがあるけれど、これはコミュニティの一員になりたい、他人から「あの人は●●らへんの人だから」っていうに見られたいっていう欲望がネットでは働くようになったんじゃないのかな、ってことなんだよね。 

この間 twitter のプログラミング界隈で、使ってる SNS とその理由みたいなことに言及するのがじわわーっと流行った。 あの流れを観測してそれ(自分の SNS 観)について発言すれば、「僕はあなたの仲間です、僕はあなた方の一員です」みたいなものを他人にアピールできることになる。 もう既に言及している「プログラマー界隈」の人に、「僕はあなたの仲間です」ということをさり気なくアピールできるし、そうでない人には「僕はこいつらの仲間なんだよ」と言える。 たぶんみんなも少なからずそういう思惑があったんじゃないかな。 むろん、ちょっとでもそういうことに興味ある人間ならこの話題はどうしても発言したくなるだろ!っていう理由もあると思うけどね。 それが既に、その社会に所属している/したがっている、なによりの証拠になっているけれど。

僕たちが人間である限り、僕たちはなんらかの「社会」に所属せざるを得ない。僕たちはコミュニケーションから逃れることはできない。

コミュニティとアイデンティティが限りなく溶け合っているのは、インターネットでも同じってこと。 

クラスの中のなかよしグループがだいっきらいって言ってた人、今ではとっても楽しそう。 

ネットには、暗黙の不干渉と他人の視線で成り立つゆるやかなコミュニティしかないからね。

  • 1 year ago
  • 4
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+

たべよう

あ、今おなかいっぱいなんですよ。

人間、お腹が空くと冷静になれなかったりするじゃないですか。

私の場合それが顕著で、もうなんも考えられなくなるんですね。おまえら全員死ね、俺も死ぬから、とかずっと考えるし、もう地球死ねとか叫んだりする。

いろんな感情に振り回されてるとだるいから全部聞き流して機械的にぼーっとする、っていうスタンスをとっているので、(こういうの理性っていうのかな)その理性役が空腹で働かなくなると、いつも聞き流してる感情が全部ダダ漏れになったりする。基本的にイライラしてるからもうなんも冷静になれない。目付きも悪くなるし舌打ちもする。

だから「あ、やべ腹減った」と思ったらなるべく早く食べるようにしてるし、「ごめん、ちょっと腹減りすぎてイライラしちまうからなんか食っていい?」とか言うようにしてる。わけも分からずイライラされたら困ると思うし。

お腹が空いて悲しくなって泣く、くらいになると、イライラなくなるんですけどね。これって科学的には、脳が空腹アピールを諦めるからなんですけど。

ごはん食べた方がいいっすよ。

デートはランチの前よりも後の方がいいし、もちろん商談だってその方がいい。できるならいっしょにごはん食べちゃった方がてっとりばやい。そういうのビジネス本とかによく書いてあるよね。

よく「肉体から解放されたい」とか言ってる人見るけど、あなたが人間であることは否定できないし、今のBMI技術じゃ完全義体化もできない。

厨二病こじらせて肉体がうんぬん言ってる暇あったらごはん食べましょう。私たちは私たち自身が考えるよりも、肉体のコンディションに左右されます。

所詮人間だって動物です。

情報技術とかなんとか言ったって、モニタを見るのはあなたの目でしょ?ビタミン取らないと目も疲れるよ。

動物を飼い慣らす程度のスタンスでいきましょう。

  • 1 year ago
  • 4
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+

みんな

えっちだなあ。 “かわいい”って言葉でごまかしてるけど、 みんなえっちだなあ。

  • 1 year ago
  • 4
  • Permalink
Share

Short URL

TwitterFacebookPinterestGoogle+
Page 1 of 2
← Newer • Older →

About

科学的に正当性を主張しうる程度の社会調査や統計的検討をしたわけではないから、ここに記された主張なり指摘なり考察なりは、すべて私の主観的、人間的、信仰的な「意見」にすぎない

Twitter

loading tweets…

  • RSS
  • Random
  • Archive
  • Mobile
Effector Theme by Pixel Union